高校生ソクラテススクール (定員 若干名)

 

 高1~高3の個別指導のコースです。

過年度生や浪人、社会人の入塾はできません。

中3生として在塾した内部生のみのコースです。申し訳ありませんが、外部からの入塾ができません。ご了承ください。

元塾生でも高2、高3時の再入塾はお受けできません。高1のみです。

宜しくお願いします。

 

 <高校生のコースのご案内>

 全日制普通科の進学校に入学された高1生は、高1の1学期中間テストはなんとか乗り切れても、中間テスト後の5月下旬ぐらいから、学校の授業内容が急に難しくなり、授業内容を理解できなくなることが多々あります。6月末からの期末テストでは、テスト範囲の「提出課題」を自力でこなすことがだんだんできなくなります。内容が高度であること、分量が大量であること、そしてそれをこなす時間が不足することが原因です。

 

「部活なんてやるんじゃなかった。文武両道なんて、気安く言っていけない。私には両方こなせる能力はないのかも?」

 

高校の部活の対外試合は、各校の定期テスト日程を考慮せずに組まれてますから、週末に試合が多くなります。テスト期間中でも(土)(日)に試合があると覚悟して入部すべきです。

 

結局、時間不足でその課題を仕上げることができず、未消化のままで期末テストを迎えることになります。悪循環です。

 

学習内容の高度化。あまりにも難しくて心がくだることが少しずつ多くなります。

 

初めて海外旅行に行くと「カルチャーショック」を経験しますが、それと同様に進学校に入学した高1は「高1ショック」をほぼ全員が経験します。高1ショックは、5月下旬から6月末まで、10月初~11月末まで、1月下旬~2月末までの計3回やって来ます。

 

私が公立高校の教諭だった時、それをよく目の当たりにしました。

進学校の高校1年生を受け持つ教科担任の緊張感と使命感。助けを求める生徒に対して手を差しのべるのですが、勉強内容の高さ、次元の違いで、後手後手になってしまいます。中学の学習内容の難易度を10とすると、高校のそれは50~100でしょうか、質も量も速さも全く異なります。

 

私には教師として、とてもにがい経験があります。

受験指導上の、過去のつらい出来事です。高校の教員をしていた時と現在の塾講師の両方を合わせて、たとえば東京大学の場合、ありがたいことに合格者はたくさんいますが、残念ながら不合格者もたくさんいます。

 

合格できなかった原因のひとつは、「高2の3学期スタートの受験勉強」に至るまでの私のリード、リーディングの弱さでした。まず高1のスタートダッシュ、そして高2終了時点でのアドバンテージの確保。このふたつがうまくいかないと難関校への現役合格が厳しくなります。

 

高校3年生は確かに勝負の学年ではありますが、高校入学直後から高2の2学期を終えるまでの期間は、それ以上の正念場です。山場です。 

 

いかに16歳、17歳を乗り切るか?受験の約80%は高2の2学期終了時点までに決します。不合格の原因のひとつは、本格的な受験勉強が始まる高2の3学期に至るまでの「準備不足」です。その大切な準備段階をしっかりサポートしきれなかった指導者のミス。

 

これがこの塾を作る出発点となりました。

 

特進サクセスの「高校生ソクラテススクール」の指導方針は、

①高1・・迷いながらも結局自らをごまかして高1を終えることを防ぐこと。「高校生に成り切る」のに約6か月かかるので、早めに学習方法の確立と時間の使い方、考え方を学ぶこと。 

②高2・・生徒本人に自信をもたせ、受験への自覚をもたせること。英検の2級取得。 

③高3・・受験校の決定、夏休み500時間の勉強時間の確保。

 

当塾の「高校生ソクラテススクール」は、週2回は通っていただきます。

 

大学受験で難関校を考えておられるご家庭は、遅くとも高2の末までには英語を終了させる必要があります。英検2級合格がひとつの目安となります。GTECは1190点以上(B2)が目標です。 

 

特進サクセスでは高2の2学期の期末までに英検2級の合格を柱に、「高校生ソクラテススクール」を開講しております。2級取得後は準1級を。

  

諸経費は約2.4万~2.6万円の月額固定制です。全教科対応、教科不問。 

 

なお「センター試験」が2020年1月に終了し、2021年1月に「共通テスト」になりました。また2021年から国公立大学は推薦入試枠が定員の30%までとなりました。チャンスです。私立大学は独自の路線を歩む学校も多々ありますが、受験の2年前ルールを含め、英語の重視とスコア化は今まで通りです。

 

中3時に在塾生だった高校1年生であることが、コースの在籍条件です。

申し訳ありませんが、過年度生や浪人生、社会人は入塾ができません。

 

進学予備校(小2~高3)

特進サクセス高木校です

0566-77-0039

 

コロナに 負けるな! 

手洗い、マスクの着用を!

詳細は「感染症の対応」をご覧ください。

 

2020年

8月

11日

外山滋比古先生が逝かれました(追悼)

 

 

 東京都文京区小石川のご自宅から勤務校のお茶の水女子大学まで徒歩で行かれる。所要時間は約7分。春日通りの横断歩道で信号待ちに引っかかれば、私のチャンスは約1分増える。

 

 秋に行われる寮祭の主催学年である私は、寮のOBである外山先生にカンパをお願いしようと考えていた。1985年(S60年)の秋、今から約35年前のことである。

 

 我々の学生寮は、愛知県の三河地方出身者が入寮する「三河郷友会」という学生寮である。出身地が同郷のため、全員がネイティブの三河弁だ。その三河寮の2階の洗面所の窓から眼下に目をこらし作戦を練った。

 

 平日の朝は、同じ時間、同じ道でお茶の水女子大学に歩いて行かれる。その歩くスピードはびっくりするほど速い。歩くというより小走りに近い。ほんのわずかな時間で私の視界から消えてしまうのだ。この建物の二階の窓から、何度も何度もそのお姿を拝見した。

 

 私は外山先生を「小さな巨人」と呼んでいた。身長が低かったことからそう名付けた。今思えば大変失礼な話だ。小さな巨人は、背広姿に大きな黒いカバン。そしてインパクト満点の黒ブチの眼鏡。「知の巨人」は小柄だった。

 

「外山先生、おはようございます。お急ぎのところ、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」信号がちょうど赤になった。

 

 「三河郷友会学生寮の寮生の高原と申します。おはようございます。実はもうすぐ寮祭ですのでOBの方々にカンパしていただけたらと思い、礼を逸してることはじゅうじゅう承知しておりますが、意を決してお願いにあがりましたぁ。」

 

 勢いが肝心だと思い、淀むことなく、大きな声で、力を入れて申し上げた。 

 

 1983年に刊行された「思考の整理学」は、その年の大ベストセラーだった。大学生協で平積みされた単行本は、口コミも手伝って月が変わるごとにその販売面積を増やしていった。

 

 『学校教育はグライダー人間を作りすぎ。自分のエンジンを搭載し自分自身で飛べる飛行機人間を育成すべきだ、その目的に対して最も大切なことは思考力というエンジンだ。そのエンジンを持たなくてはならぬ。そのためには考えるということを大事にしたい。考えて思いついたアイデアはカードに書こう。そして発酵するまで待つべし。

 

 起床後からお昼までの午前の脳の活動は思考活動にはもってこいだ。無我夢中、散歩中、入浴中の三中は思考には最適。etc・・・』

 

 数年後には文庫本となった。いつしか大学生の必読書のランキング上位となった。甲子園で活躍した根尾選手が2019年の秋、中日ドラゴンズにドラフト1位で入団契約した際、愛読書を問われ、外山先生の「思考の整理学」と答えたことで話題となり、彼はは大いに株を上げた。

 

 「三河寮ですかぁ。はい、わかりました。今お時間、ありますか?」

 

「もしあるんだったら、このまま私の研究室まで一緒においでん。いそいどるもんで、時間がないんだわぁ・・・」

 

 「えっ!!研究室??」

 

 お断りする理由などあろうはずがない。コテコテの三河弁の先生のあとをノコノコとついて行った。

 

 お茶の水女子大学の先生の研究室に、恐る恐る足を踏み入れたあの緊張感と幸福感。「ハイっ」と渡された寮祭へのカンパ。両手で押し頂きながら拝受した。

 

 もちろん先生のご自宅の住所、所在は知っている。わが学生寮のご近所。しかしご自宅にお伺いすることは絶対にしてはいけないと思っていた。執筆などのお仕事の邪魔をしてはいけない、筆を折るような野蛮な訪問は決してできない。先生の書斎から綿々と生み出される研究成果を阻害するようなことは絶対にできない、許されない。思案の末、「徒歩での通勤途中」にお声をかけさせていただくことを決定した経緯などについて申し上げた。勢い余って「思考の整理学」と「省略の文学」の、自分なりの書評をも生意気にもお伝えしてしまった。蛇足だった。でも先生は黙ってうなづいておられた。笑顔だった。目がやさしかった。

 

 私はとてもハッピーだった。カンパをいただけたからうれしいのではない。カンパを頂くというミッションを完遂した上に、尊敬すべき偉大な人物の許しを経て、大学のご自身の研究室である「聖域に入ること」ができたことが、恐れ多くもうれしかったのだ。強烈なカタルシス(魂の浄化)があった。

 

 先生はいつも微笑んでおられた。愛知県の西尾で生まれ、大学生として上京されてからはずっと文京区小石川で生活された。そうして年月が過ぎ、300をこえる著書が刊行された。そのどれもが輝きを失わずに、新鮮で鮮烈な閃光を放っている。どれを読んでも面白い。借り物ではなくオリジナル、古くなく新鮮。本物だからであろう。

 

 近著では「三河の風」(2015年展望社)は特に素晴らしい。明治維新後、愛知県三河地方は明治政府から冷遇された。徳川家の発祥の地だからだ。地元民は政府に頼ることなく、自力で、自分たちだけでやっていこうという独立独歩の気風、風土が醸造されていった。その中で自分らしく、かたくなに生きていくことを学んだ。その生き方は、あたかも蚕(かいこ)に似ている。三河地方は養蚕が盛んな土地で、農家は屋根裏で蚕を大事に育てた。蚕に「お」をつけて「お蚕さん」と呼んで大事にした。蚕は桑の葉を食べて白い糸を吐き、繭(まゆ)を作る。色のついたものは色あせるが、白い繭は色あせることなく純白の糸となる。だから「蚕のように私は生きていきたい」という、「三河人」外山先生の強い信念に、共感を覚えずにはいられなかった。

 

 また健康維持のため、皇居一周約5キロを、ご高齢にもかかわらず毎日散歩される外山先生のテレビ番組を数年前に見た。たぶん「三中」の散歩に違いないと思ってそのお姿をテレビの画面越しに拝見した。その先生が2020年7月30日、胆管ガンで亡くなられた。享年96

 

 今週はお盆がくる。先生にとっては新盆だ。わたしは自分の塾で夏期講習の授業をする。中学生の夏期講習用の国語のテキストの問題文は、長田 弘(おさだ ひろし)、小此木 啓吾(おこのぎ けいご)、串田 孫一(くしだ まごいち)など、そうそうたる方々の文章だが、この30年間、学習用のテキストや大学入試の現代国語の問題文への登場機会ダントツのトップは言うまでもなく、外山先生だった。そしてこの先の30年間もたぶんそうあり続けるであろう。知の巨人は死なず、永遠なり。

 

先生、お世話になりました。

先生、本当にありがとうございました。

先生、同郷人として誇りに思っておりました。

先生、これからも今まで以上に先生の文章を精読していきたいと思います。

先生、安らかにおやすみください。本当にありがとうございました。

 

心よりご冥福をお祈りします。 

( 合 掌 )