< 新 さくせす日記 >

見たこと、聞いたこと、感じたことを、とりとめなく つづっていく日記です。 

 

2025年 10月 23日

 「一気に秋へ」

 

10月23日、早朝、一気に気温が下がりました。

 

気温が突然下降した感じがしました。我が家の畑でコスモスが寒そうにしてました。

 

愛知県下ではインフルエンザが1ヶ月前倒しで流行だとのこと。気をつけてください。

18才以下の人は、ワクチン接種で鼻の中に噴霧するタイプがあり、有効期間が1年だそうです。費用が若干割高だそうですが、背に腹は代えられません。受験シーズンが到来します。備えよ、常に。

  

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 自宅にて(岡崎市)

(2025.10.23 撮影)

 

 

   

 

2025年 9月 27日

「私立高校合同説明会」

 

9月24日、来年度の私立高校入試に関しての説明会が岡崎市の竜美丘会館でありました。

 

この説明会、以前は10月に半ばに開催さていたのですが、数年前に公立高校入試日程が2週間前倒しになったのに伴い、私立高校入試日程も前倒しになりました。学習塾対象の説明会が10月開催では遅いということで9月開催となっています。

 

私立高校の入試担当の先生方がパワーポイントで作成した資料映像を使用し、配当時間20分でプレゼンを行います。貴重な情報をゲット出来ましたので、保護者会を通じて情報還元をさせていただきます。

 

入試、いよいよです。しっかり準備して行きます。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 竜美丘会館(岡崎市)にて

(2025.9.24 撮影)

 

 

   

 

2025年 9月 1日

「夏期講習、ありがとうございました。」

 

7月28日にスタートした夏期講習、おかげさまで8月30日に終了できました。ありがとうございました。

 

塾生が元気だったことが何よりです。体調管理がしっかりしていたのは各ご家庭のご指導の賜物だと思ってます。ありがとうございます。

 

9月になりました。新学期のスタートです。残暑厳しい中、その暑さに負けることなく頑張りましょう。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 自宅にて

旦那寺へのお参り、お墓清掃の後、拝受した水まんじゅうで一服

(2025.8.13 撮影)

 

 

   

 

2025年 7月 24日

「一蓮托生」

 

7月14日に岡崎市伊賀町の伊賀八幡宮に行ってきました。

 

このお宮は、松平氏が大きな合戦の前に必勝祈願をした氏神です。1560年の桶狭間の戦いの前にも必勝祈願に家康が訪れています。岡崎市主催の「家康行列」はこの伊賀八幡宮から行列がスタートします。

蓮の花がきれいでした。この花のように夏期講習が実りあるものにしたいと思います。

 

先日までの保護者会、誠にありがとうございました。

来週の月曜日から夏期講習スタートです。暑さに負けることなく塾生の学業成就を支援してまいります

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 岡崎市の伊賀八幡宮

(2025.7.14 撮影)

 

 

   

伊賀八幡宮(岡崎市)

 

2025年 7月 3日

「夏越しの祓い」

 

6月30日に夏越の祓いに岡崎天満宮に行ってきました。6月の大祓いです。

 

この時期のお祓いは茅(かや)の輪くぐりです。8の字を描くように輪をくぐり抜け、本殿へ進みます。塾生の学業成就を祈願しました。

 

暑い日が続きます。塾は、保護者会を経て夏期講習となります。暑さに負けることなく塾生の学業成就を支援してまいります

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 岡崎市の岡崎天満宮

(2025.6.30 撮影)

 

 

   

 

2025年 6月 6日

「 江戸の出版文化 」を学びに

 

6月6日に習い事をはじめると上手になるという言い伝えがあります。でもこの言い伝えは、数え年「6歳の6月の6日」に習い事をはじめると・・・、です。

 

数え年の6歳はとうに過ぎてしまいましたが、きょう「6月6日」は、学び始めの日です。江戸の出版文化を学ぶため、西尾市の岩瀬文庫に行ってきました。

 

後進国を自覚し、明治維新以降、先進国に追いつくために明治政府は約50年間を費やしました。急激な西欧化の中、日清・日露の戦争を経て、良し悪しはあるものの、欧米列強にかなり近づくことが出来たことは事実です。

 

たったの50年です。物凄いスピードです。

このスピード感で西欧列強に近づけたのは世界広しといえども日本だけです。近づけた要因を考えてみると、それはいろいろあるとは思いますが、その根底には明治時代の前の、江戸時代末期の町民の文化レベルの高さ、習熟度レベルの相対的な高さが根底にあるのではないか、というのが最大の要因だと私は思っています。

 

出版文化の隆盛と到達度がそれを一番示しています。

 

愛知県西尾市の「岩瀬文庫」は、8万点の「原本」や「写本」を収集保管しています。蔦屋重三郎が関わった出版物の原本をここで見ることができます。

 

この岩瀬文庫、自身の収蔵物を、自主的な企画で、完璧な展示方法による、無料での一般公開という理想的な文化施設なのです。他の追随を許しません。

 

1867年生まれの岩瀬弥助が私費で「私立 岩瀬文庫」を創設したのが明治41年(1908年)ですから、あと数年で120歳の図書館です。現在は西尾市の施設となり、西尾市立図書館に隣接しています。

 

今年、5月から8月24日まで「江戸の出版文化と蔦屋重三郎」(前期展)と題して特別展を開催しています。8月30日からは(後期展)が予定されてます。

 

コンパクトな展示ですが、展示方法、照明、解説文、イヤホンガイド、全てが充実しています。しかもすべて無料。

 

そのうえ1階の休憩室では西尾の抹茶が一服200円でいただけます。(安い!)。

この文化提供レベル、すごいです、ビックリです。

 

NHKの大河ドラマ「べらぼう」(蔦重栄華乃夢噺)が放映中ですので、とても参考になります。ドラマは、現在、老中が田沼意次の時代で、蔦重が歌麿をお抱え絵師として売り出す話を放映しています。

 

もう少しすると十返舎一九や葛飾北斎が「東海道中膝栗毛」や「富岳三十六景」を出版する話を放映するかと思います。

 

蔦屋重三郎(1750~1797)は、他を圧倒する「出版プロデューサー」でした。

狂歌師では太田南畝や恋川春町、絵師では勝川春章、喜多川歌麿、葛飾北斎、戯作者では山東京伝、曲亭馬琴、十返舎一九を世に出しました。

 

11代将軍の頃の化政文化史に出てくる人物の多くが蔦重によってプロデュースされた事実に改めてびっくりし、これがひいては、明治時代の、わずか半世紀で欧米列強に近づき得た、大きな礎(いしづえ)なのでは、という自説を確証できた展示でした。

 

勉強させていただきました。楽しかったです。

ありがとうございました。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 西尾市の岩瀬文庫

(2025.6.6. 撮影)

 

 

   

岩瀬文庫(愛知県西尾市) 2025.6.6

 

2025年 5月 3日

「 名古屋城 」

 

先日、久しぶりに名古屋城に行きました。

 

天下分け目の戦いと言われた関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609年)、豊臣方への備えとして名古屋城の築城を決定しました。1614年に大阪冬の陣がおきます。翌1615年に名古屋城が完成します。完成して数か月後に大阪夏の陣があり、豊臣氏が滅亡しました。

 

昭和20年5月の空襲で焼失した名古屋城は、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート製の天守閣として再建され、現在に至ります。老朽化と耐震基準の関係で天守閣への立ち入りが今はできませんが、その姿は見る者を圧倒します。

消失前の天守閣の図面、実測図、写真資料がとても豊富なので、それに基づき木造天守閣の復元計画が現在進行中です

 

戦争により同じく焼失した本丸は、2009年から復元工事がスタートし、2018年6月に公開が始まりましたが、内装に関しては未完成、復元途中ですのである意味「建設中の本丸」を見学できます。

本丸は尾張藩主の住居・政庁として慶長20年に建てられましたが、後に将軍の宿泊施設になりましたので、格式がとても高いのが特徴です。

 

わくわくするような社会勉強ができました。ありがとうございます。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 満開のナンジャモンジャと天守閣(名古屋城)

(2025.5.1. 撮影)

 

 

   

特別史跡 名古屋城 2025.5.1

 

2025年 5月 1日

「 ひと月、たちました 」

 

新学期が始まり、ひと月たちました。

スタート時からついてまわる精神的な「特有の疲れ」がちょうど出てくる頃です。ご注意ください。

 

4/30から5/2は平日なので、普通に学校がありまが、授業、授業というよりは、クラスの結束を固めたり、自分自身をアピールすることができるような行事が組まれ、通常授業が少ないかなぁと思います。

 

クラスの一員として、存在感を発揮しながら、そして結束をも感じられるよう、気を楽にしてクラス行事に参加してください。重荷を背負う必要はありません。学校生活を楽しんでほしいと思います。

 

でも毎日の家庭学習に連休はありませんので、それはそれ、そこをしっかり理解して家庭学習を継続していきたいものです。 5/3からGW後半戦がはじまります。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は 藤の花(ライトアップ)岡崎公園にて

(2025.4.30. 撮影)

 

 

   

 

2025年 4月 26日

「 いいスタートでした 」

 

4月の通常授業が始まり、3週間がたちました。

 

GW(ゴールデンウィーク)までに習得させたい各教科の単元を、予定通りになんとか学習させることが出来ました。

 

スタート、よし。

 

GW中に充実した家庭学習を重ねて欲しいと伝ました。頼んだぞ!GW後、当塾では小テストの嵐です。(笑)

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は夕焼け、岡崎市若宮町にて

(2025.4.25. 撮影)

 

 

   

 

2025年 4月 6日

「 桜まつり 」

 

受験が終わり、サクラサク。

 

学習塾にとって、受験は最大の目標です。日々の勉強も最終的には数年後の受験へとつながっていきます。

 

合格を祝福してくれるかの如く、桜が満開です。

 

うれしいかぎりです。

 

受験生みんなに春がやって来ました。おめでとうございます。

 

次の受験生にもエール、おねがいします。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は岡崎城公園(岡崎市)

(2025.4.5. 撮影)

 

 

   

岡崎城公園(2025年4月5日)

 

2025年 3月 15日

「 お礼参り 」

 

受験が終わりました。

 

おかげさまでうまくいきました。

 

ありがとうございました、ということでお礼参りにいきました。秋に伊勢神宮で合格祈願をしました。しかし時間的に伊勢神宮に行けません。

神様にご相談して熱田神宮に参りました。

 

受験生に春がやって来ました。

おめでとう。

 

来年の入試もお願いします。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は熱田神宮(名古屋市)

(2025.3.14. 撮影)

 

 

   

 

2025年 2月 17

「 受験、順調です 」

 

大学入試共通テスト、私立大学入試、私立高校入試、公立高校推薦入試、国立の高校入試や高専入試まで来ました。

 

おかげさまで今のところ順調です。本当に順調にここまで入試スケジュールをこなしてきました。ありがたいです。

 

来週は公立高校入試と国公立大の前期入試で、受験スケジュールが完了します。

 

受験生にとっては、入試の半分を健康管理が占めています。勉強以上に大切かも知れません。

 

その健康管理のひとつに「食事」があります。野菜が多く摂れる鍋料理は受験期にはもってこいです。ところが今年の冬、白菜が高い。スーパーの白菜の値段がびっくりするほど高いです。

 

我が家の家庭菜園は、この冬、白菜がおかげさまでおいしくできました。見守り、観察が上手くいきました。

 

ひとつずつ積み上げて、大切に育成してきました。うまくフィニッシュしたいと思います。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

写真は自宅の畑

(2025.2.17. 撮影)

 

 

   

 

2025年 1月 1

 「 迎 春 」

 

明けまして

おめでとうございます 

 

今年もよろしく

お願いいたします。

 

令和7年 元旦

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

 

 

写真は

自宅の鏡餅と岡崎城公園の初詣

2025.1.1. 撮影)

 

 

   


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2020年

8月

11日

外山滋比古先生が逝かれました(追悼)2020年8月11日

 

 

 東京都文京区小石川のご自宅から勤務校のお茶の水女子大学まで徒歩で行かれる。所要時間は約7分。春日通りの横断歩道で信号待ちに引っかかれば、私のチャンスは約1分増える。

 

 秋に行われる寮祭の主催学年である私は、寮のOBである外山先生にカンパをお願いしようと考えていた。1985年(S60年)の秋、今から約35年前のことである。

 

 我々の学生寮は、愛知県の三河地方出身者が入寮する「三河郷友会」という学生寮である。出身地が同郷のため、全員がネイティブの三河弁だ。その三河寮の2階の洗面所の窓から眼下に目をこらし作戦を練った。

 

 平日の朝は、同じ時間、同じ道でお茶の水女子大学に歩いて行かれる。その歩くスピードはびっくりするほど速い。歩くというより小走りに近い。ほんのわずかな時間で私の視界から消えてしまうのだ。この建物の二階の窓から、何度も何度もそのお姿を拝見した。

 

 私は外山先生を「小さな巨人」と呼んでいた。身長が低かったことからそう名付けた。今思えば大変失礼な話だ。小さな巨人は、背広姿に大きな黒いカバン。そしてインパクト満点の黒ブチの眼鏡。「知の巨人」は小柄だった。

 

「外山先生、おはようございます。お急ぎのところ、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」歩行者用信号が緑の点滅から赤になった。

 

 「三河郷友会学生寮の寮生の高原と申します。おはようございます。実はもうすぐ寮祭ですのでOBの方々にカンパしていただけたらと思い、礼を逸してることはじゅうじゅう承知しておりますが、意を決してお願いにあがりましたぁ。」

 

 勢いが肝心だと思い、淀むことなく、大きな声で、先生の目を見ながら力を入れて申し上げた。 

 

 1983年に刊行された「思考の整理学」は、その年の大ベストセラーだった。大学生協で平積みされた単行本は、口コミも手伝って月が変わるごとにその販売面積を増やしていった。

 

 『学校教育はグライダー人間を作りすぎ。自分のエンジンを搭載し自分自身で飛べる飛行機人間を育成すべきだ、その目的に対して最も大切なことは思考力というエンジンだ。そのエンジンを持たなくてはならぬ。そのためには考えるということを大事にしたい。考えて思いついたアイデアはカードに書こう。そして発酵するまで待つべし。

 

 起床後からお昼までの午前の脳の活動は思考活動にはもってこいだ。無我夢中、散歩中、入浴中の三中は思考には最適。etc・・・』

 

 数年後には文庫本となった。いつしか大学生の必読書のランキング上位となった。甲子園で活躍した根尾選手が2019年の秋、中日ドラゴンズにドラフト1位で入団契約した際、愛読書を問われ、外山先生の「思考の整理学」と答えたことで大きな話題となり、彼はは大いに株を上げた。

 

 「三河寮ですかぁ。はい、わかりました。今お時間、ありますか?」

 

「もしあるんだったら、このまま私の研究室まで一緒においでん。来れる?急いどるもんで、時間がないんだわぁ・・・」

 

 「えっ!!研究室??」

 

 お断りする理由などあろうはずがない。コテコテの三河弁の先生のあとをノコノコとついて行った。

 

 お茶の水女子大学の先生の研究室に、恐る恐る足を踏み入れたあの緊張感と幸福感。「ハイっ」と渡された寮祭へのカンパ。両手で押し頂きながら拝受した。

 

 もちろん先生のご自宅の住所、所在は知っている。わが学生寮のご近所。しかしご自宅にお伺いすることは絶対にしてはいけないと思っていた。執筆などのお仕事の邪魔をしてはいけない、筆を折るような野蛮な訪問は決してできない。先生の書斎から綿々と生み出される研究成果を阻害するようなことは絶対にできない、許されない。思案の末、「徒歩での通勤途中」にお声をかけさせていただくことを決定した経緯などについて申し上げた。勢い余って「思考の整理学」と「省略の文学」の、自分なりの書評をも生意気にもお伝えしてしまった。蛇足だった。でも先生は黙ってうなづいておられた。笑顔だった。目がやさしかった。

 

 私はとてもハッピーだった。カンパをいただけたからうれしいのではない。カンパを頂くというミッションを完遂した上に、尊敬すべき偉大な人物の許しを経て、大学のご自身の研究室である「聖域に入ること」ができたことが、恐れ多くもうれしかったのだ。強烈なカタルシス(魂の浄化)があった。

 

 先生はいつも微笑んでおられた。愛知県の西尾で生まれ、大学生として上京されてからはずっと文京区小石川で生活された。そうして年月が過ぎ、300をこえる著書が刊行された。そのどれもが輝きを失わずに、新鮮で鮮烈な閃光を放っている。どれを読んでも面白い。借り物ではなくオリジナル、古くなく新鮮。本物だからであろう。

 

 近著では「三河の風」(2015年展望社)は特に素晴らしい。明治維新後、愛知県三河地方は明治政府から冷遇された。徳川家の発祥の地だからだ。地元民は政府に頼ることなく、自力で、自分たちだけでやっていこうという独立独歩の気風、風土が醸造されていった。その中で自分らしく、かたくなに生きていくことを学んだ。その生き方は、あたかも蚕(かいこ)に似ている。三河地方は養蚕が盛んな土地で、農家は屋根裏で蚕を大事に育てた。蚕に「お」をつけて「お蚕さん」と呼んで大事にした。蚕は桑の葉を食べて白い糸を吐き、繭(まゆ)を作る。色のついたものは色あせるが、白い繭は色あせることなく純白の糸となる。だから「蚕のように私は生きていきたい」という、「三河人」外山先生の強い信念に、共感を覚えずにはいられなかった。

 

 また健康維持のため、皇居一周約5キロを、ご高齢にもかかわらず毎日散歩される外山先生のテレビ番組を数年前に見た。たぶん「三中」の散歩に違いないと思ってそのお姿をテレビの画面越しに拝見した。その先生が2020年7月30日、胆管ガンで亡くなられた。享年96

 

 今週はお盆がくる。先生にとっては新盆だ。わたしは自分の塾で夏期講習の授業をする。中学生の夏期講習用の国語のテキストの問題文は、長田 弘(おさだ ひろし)、小此木 啓吾(おこのぎ けいご)、串田 孫一(くしだ まごいち)など、そうそうたる方々の文章だが、この30年間、学習用のテキストや大学入試の現代国語の問題文への登場機会ダントツのトップは言うまでもなく、外山先生だった。そしてこの先の30年間もたぶんそうあり続けるであろう。知の巨人は死なず、永遠なり。

 

先生、お世話になりました。

先生、本当にありがとうございました。

先生、同郷人として誇りに思っておりました。

先生、これからも今まで以上に先生の文章を精読していきたいと思います。

 

ありがとうございました。

( 合 掌 )

 

2020年8月11日 記