今から約40年前だった。「英語で喧嘩できる人、来たれ」というフレーズを初めて目にした時、心が揺さぶられた。世界は広い、若いうちに世界に飛び出し、見識を広めたい、日本の各地も行きたいが、いまの自分は海外。海の外に行くぞ!と誓った。
英語が何とか話せるようになったら海外に行こうと以前から考えてはいたが、いや、話せなくてもいいから行きと帰りだけを決めてすぐに行こうと飛行機に乗りこんだ。土居健郎氏「甘えの構造」がベストセラーで、小此木啓吾氏「モラトリアム人間の時代」だった。
海外旅行が自由化されたばかりだったのが幸いした。トーマスクックの時刻表が日本で購入できる時代になっていた。日本にいながらヨーロッパ各国の鉄道の発車時刻を調べることがとても楽しかった。今ならネットですぐ検索できるが、当時は紙面に印刷されたものを地道に調べていくしかなかった。誰かに頼ってはいけない。全部ひとりで何でもやっていく。自分一人でやりたかったのだ。どんどんたくましくなっていく自分を実感できた。小田実(まこと)氏「何でも見てやろう」が私のバイブルだった。
今年7月上旬の日経新聞に、「世界にはみ出せ!」という広告があった。IT企業の求人広告だった。それを目にした時、あの頃の自分の、「外へ飛び出したい!」「海外を見てみたい!」という強い衝動が、この広告と重なって見えた。
「人生は旅である」と松尾芭蕉は言った。旅は自分自身と向き合う「こころの作業」だ。そして「両眼、複眼」での作業だ。近い所を見る目と遠い所を見る目、これらの2つの眼を持ちながら、己を「内省する作業」だ。旅とは、両眼で己(おのれ)を内省するという修行なのかもしれない。一人っきりの海外旅行はまさに修行だった。
卒業し社会人になった。高校の教員として奉職したが、生徒の大学入試を間接的にではあるが毎年経験するにつれ、「受験勉強もまた旅である」のではないかと思いだした。・・・志望校合格を目指す受験勉強は、自分自身と向き合う「自分探し」の作業である。いつか、いつの日か、世界へはみ出すことを夢見つつ、逃げることなく自分自身と向き合い勉強する。敵は「時間」と「自分自身」だ。与えられた条件を嘆くことなく、その条件下で最大の努力をしていかなければならない。誰かに頼ってはいけない。自分でやる。自分で責任を負う。強さ、たくましさがもちろん要求される。自分に克たなくてはいけない。
夢がかなって、外から自分を、外から日本を見る時、自分のアイデンティティを確認できる。実感できる。そして自分の使命を悟りだすだろう。だから今は大きな志を持ち、前を見て歩くのみ。前進あるのみ。逃げることなく自分自身と向き合うべし。あなたは日本のみならず世界の宝!なのだから。自信を持って前進するべし!祈
特進サクセス塾長 高原雅美 記