高校1年生の7月から12月までの半年、お寺で生活させていただき高校に通ったことがある。目的は自己修行。甘さのある自分自身に対して厳しさを求めそれを克服し、心身ともにたくましくなって人生の荒波を乗り切りたいと思ったからである。
その頃の私は、自分の学業成績に不満を覚えていた。居眠りもせず、さぼることもなく、集中して学校の授業を受けているのにテストの点数が悪い。勉強の仕方に問題があるのだろうか?それとも自分の頭が悪いのか?どちらにせよ高等学校の学習内容の高度さ、難しさを嘆いていた。しかしそれは誰のせいでもなく自分の未熟さのせいであろうと思っていた。そして数か月後のある日突然「自分自身の成長のためには修行が必要だ、そうだ、修行すればいいんだ!」と強く思うようになった。でもそれを実行するには、今の生活と生活環境ではダメだと思い、まず親元から距離をおき精神的に自立するべきだ、どうしよう?どうしようか?うーん、あッそうだ、オ・テ・ラ・だ! お寺だ! 寺! そうだ、お寺で修行をさせてもらえばいいんだ、となった。
土曜日の午後、部活帰りに突然、「ここで寝起きをして修行させてください。お願いします。」と誰にも相談せず、アポイントメントも取らず、たったひとりであるお寺に直接行き、頭を下げた。
岡崎市にある浄土宗のそのお寺は、全国から僧侶が来ている修行寺だった。10歳上の兄がこの寺で、大学入試を目指し浪人生活を送っていたことが私の頭の片隅にあった。ここならそのお寺も私の両親も、私の修行を許してくれるのではないかと思った。
住職と副住職は、初めて会う私の話を、とても丁寧に、そして誠実に聞いてくださった。「いいでしょう、わかりました。次回親と一緒に来なさい。」
その日の夜に親に初めて話しをし、翌日の日曜日に母と一緒にお寺に伺った。朝5時に起床、5時から7時まで本堂にて朝のお勤め(読経)、7時から掃除、朝食、自分で弁当作り、登校。学校から帰ってきたら帰宅の報告、そして夕食。入浴。夜のお勤めが2時間あるのだが、私だけはそれを免除され自室にて勉強。就寝。翌朝は5時起床……。ただし土曜日の夜は実家に帰ることを義務付けられた。実家で夕食、就寝。日曜日は夕食を済まして夜8時までに寺に戻ること。これらの規律を告げられた。私はもちろん了承した。
こうして私の修行がいよいよ始まることになった。(続く)